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七代渋草柳造染付山水風神雷神図丸鉢

¥260,000 税込

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商品コード: W016433

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商品解説

 江戸末期を祖とする渋草柳造窯。新たな伝統を探すべく、アート作品やアパレルブランドとのコラボ作品なども手がける七代目が初めて盆栽鉢にチャレンジ。「盆栽鉢として成り立ち、海外の愛好家の視線を意識しつつ、数ある盆栽鉢の中で差別化されるものとは?」に取り組み、試行錯誤の上、生み出された作品です。成形は型を使うと粒子の配列が均一でなく歪みが生じることからロクロを採用。伝統的な呉須をベースに赤絵を加えた絵付は古い文献から画題を引き出しつつ、映すだけでなく、今の世代にも響くような仕上がり実現。まさに「革新の連続」で到達した柳造窯ならではの唯一無二の作品と言えます。

 山水と風神雷神という2図案を、静動、遠近のバランス巧みに組み合わせた力作。共箱・共布付き。落款:七代柳造

 

 

関連読み物ページ:「渋草柳造窯盆器を味わう」

 

 

渋草焼(しぶくさやき)と柳造窯(りゅうぞうがま)

 江戸末期の1841年、ときの郡代・豊田藤之進が尾張から陶工を招いて「渋草ヶ丘」という地に半官半民の窯を開かせた。良質な陶石が発見され、苦心の末に磁器焼成に成功。加賀九谷から絵付師を呼び寄せて、五彩・赤絵・染付の優品を作ります。この最初に呼ばれた尾張の陶工が、陶祖・戸田柳造でした。

 幕末には「飛騨九谷」と呼ばれ全国に名を馳せますが、戸田柳造(1865)の死、江戸幕府の終焉(1867)によって支えを失い衰退を余儀なくされます。その後明治11年(1878)、地元の事業家・三輪源次郎をはじめとする有志によって経営が引き継がれ、再興。再び名絵付師を招き、九谷、有田、京都、瀬戸、美濃などの手法を取り入れて多岐に渡る製品を作り始めます。その後、明治政府、後藤象二郎などの関わりのもと、勝海舟翁の命名により「芳国社(後に芳国舎)」となり、パリ万博への出品などにより、渋草焼は世界的な知名度を得ることになる。

 明治18年(1885)、「芳国社」の熟練工・松山惣兵衛ら3名が工房を離れて独立。陶磁器両方を手がける窯として新たな活動を始めます。やがて松山惣兵衛が二代目戸田柳造を襲名。以降「渋草焼柳造窯」は陶祖・戸田柳造から連なる伝統を踏まえつつ、新たな渋草焼の世界を模索しながら現在に受け継がれています。

 

 

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